北生実城跡

千葉氏は上総方面の備えに小弓城を築き、重臣原氏に守らせていた。その後、北条氏と小弓公方足利義明
里見氏との勢力の拮抗する所となった。天分7年(1538)第一次国府台合戦に勝った後北条方の原氏は、
領地を取り返し、新たに北小弓城を築きここを本拠地とした。天正18年(1590)後北条氏は滅亡しこの城は
徳川家康のものとなり、西郷家数員が支配する所となった。寛永4年(1627)生浜地区を中心に1万石の
大名となった森川重俊は生実城1面に陣屋を築き、この付近を治めるようになり、以後11代243年続きました
城は鎌取方面から東京湾に向って東西に延びる台地の先端に築かれ、北と南側は谷、西は生実池によって
囲まれて、東は北から入りこんだ浅い谷に堀切を入れて台地を区切り、その規模600m四方に及んでいる。
森川氏は城の一面に陣屋を構えたので、主郭部はそのまま残っていたが、昭和44・45年の団地造成により
土塁・空濠等の施設は消滅しました。平成3年の発掘調査で、享禄4年(1531)年銘のある庚申待板碑が
井戸用テラスの床面下から出土したことから、この城の築城または改築の時期を知る資料として注目されます。
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